老子が好きなんです。

いつもありがとうございます。楽歴学史です。


中国の諸子百家の中では、自分は老子が一番好きです。


老子と荘子の唱えた思想をひとまとめにして「老荘思想」とも「道家」とも呼ばれています。


守屋洋先生の「中国古典百言百話6:老子・荘子(PHP文庫)」によれば、老子と荘子はひとまとめ


にされてはいるが、けっこう、いやずいぶん違うことがわかります。



いずれも「道」というものを認めることから始まっていて、老子の場合は万物の根源にある存在としての「道」=「無」があることではじめて万物が生み出されるが、一切自己主張せず、そのありかたは「無心」「無欲」「無為」「柔弱」「謙虚」「質朴」「控え目」などの徳を体現しています。一方の荘子は「道」の前では善悪・是非を言ってもたいして変わらないのだから世俗の価値観を超越して伸びやかに自由に生きるべき、という自由人の思想ともいえます。







・・・・・・・ついてきてますか??






また、守屋先生はそれ以外にも、老子は寡黙であり、その全篇は「箴言集」の趣があり、ぽつりぽつりと独り言のような、広漠たる大陸の大地の底から漏れてくる孤独なつぶやきのような感じとし、一方の荘子は饒舌で、寓話などをふんだんに織り交ぜながらたたみかけてくる文学にも匹敵する伸びやかで奔放な語り口であると・・・






・・・・・・・寝てませんよね??






そんな中でハウツー本にもよく出典されているのが老子第十七章です。


「太上 下知有之。 其次親誉之。 其次畏之。 其下侮之。」
(太上は、下これあるを知る。その次は親しみてこれを誉む。その次はこれを畏る。その下はこれを侮る。)


つまり「最も理想的な指導者は、部下から存在することさえ意識されない。部下から敬愛される指導者は、それよりも一段劣る。これよりさらに劣るのは、部下から恐れられる指導者。最低なのは、部下からバカにされる指導者だ」とされています。




・・・部下から存在することさえ意識されない・・・



それって、無視されてるのか?



それとも、いるかいないかすら分からないほど存在感がないのか?



とも受け取れるのですが・・



いやいや



要は、弁解も宣伝もせず、業績を上げても自分の働きとは認識されない、ある意味「縁の下の力持ち」とでも言うか、部下の働きを裏からそっとサポートして、その功績を決して口に出さない、謙虚で控え目な指導者こそ最上なのだ、ということを言いたいのでしょう。







・・・もう、誰もいませんよね・・・



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