初めまして

初めまして。楽歴学史です。


プログそのものが「初めまして」なんだかいろいろよくわからないことが多くて読みづらいかもしれませんが、何とぞご勘弁願います。


そのうち「おっ!?慣れてきたじゃない!」と言われるか、「相変わらずだな・・」と思われるか


「そもそも読まれない」かは乞うご期待!…鋭意努力をして参りたいと思います。




昨夜眠れず困っておりました。「明日も仕事だしな・・寝ないとな・・」と思い、


「よしっ!難しい本でも読んで、気付いたら寝てた。を実行しよう!!」と思い立ち、


取り出したのが「井沢元彦」先生の「逆説の日本史1 古代黎明編」
何か難しそうで、読んでいなかったんですよね…


中学の教科書で「倭の奴国の王が漢(後漢)に使いを送り、金印を授かる…」
という記載があって、「倭」=「日本」と認識しておりました。


でもなぜ「倭」?あれ?「大和」じゃなかったの?


というか、そもそもその使いは、自分たちの国が「倭」とも「奴国」とも認識出来てたの?
どう考えても中国がつけたと思うよ、そのネーミング。
漢書「地理志」には紀元前後のころ楽浪郡のかなたに「人」 がいて 、100以上の国をつくっており・・とある。自分たちの国名自体は分かっていたかもしれないが、「日本」=「倭」とは分からなかったのではないだろうか?


というか、


そもそも日本という概念があったのか?


う~~ん…でも、「倭」は「和」となる流れが…… そうか!!


今「英和」辞典、とか「和英」辞典とか、「日本」=「和」表されるルーツがここにあったのか!


・・・・・・


おや?聖徳太子の「十七条の憲法」だ。どれどれ…


聖徳太子と言えば、自分の知識では蘇我氏の力を借りながらも、「冠位十二階」「十七条の憲法」「遣隋使」など多数の政策を実行した、有能というだけでは言葉が全然足りない程の人物。また仏教を深く信仰し、日本に初めて仏教をもとにした文化をもたらした人物でもある。それほどの人物が、定めた役人の心構えはさぞかし仏教の精神に則ったものだろう・・・


「一に曰く、和をもって貴しとなし、さからうことなきを宗とせよ。」

「二に曰く、あつく三宝を敬え。三宝とは仏・法(仏教の教え)・僧なり」


・・・あれ?


仏教の教えより「和」が先??


え?何で??まず「三宝」が先に来ないと、でしょう。


・・・あぁ、ここにも「日本」=「倭」の精神が働いているのか!!なるほど!!

まだまだ先もあるな。どれどれ・・






チュンチュン‥チチチ・・・





え!!?? 朝!!



寝てないし!明日、いや、今日仕事だし!!

井沢先生、おもしろすぎます!!ハマりすぎたぁぁぁ!!!



今日も寝不足。はやく寝よ・・






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